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若く,まだ苗木のようなガンジーは,親族の支援を受け,又使える限りのあらゆるコネに助けられて,ようやくイギリスに向けて出航した。イギリスでの留学生活について書き残した文章を掲載する前に一休みして,ガンジーがずっと後に,マハトマと呼ばれるようになってから書いた冊子の一つを紹介しよう。私の知る限り,冊子としてのまとまった翻訳はこれが本邦初公開である。
「この最後の者にも」
その真髄
M.K.ガンジー
ナバジバン出版
アーメダバード 14
この最後の者にも:その真髄
ガンジーの他の著作
自叙伝
南アフリカにおけるサッチャグラハ
サッチャグラハ
平和と戦争における非暴力 Ⅰ-Ⅱ
イエラダマンダルより
アシュラムの生活
健康の秘訣
インドの自治
自制と放縦
デリー日記
村落の再建
真実こそ神
建設的行動計画
牛との関わり方
カディー(手織りの衣服)
学生諸君へ
女性に対する社会的不正義
食料不足と農業問題
食品と食品改革
酒,麻薬,賭博
ラーマーナマ
インドの進むべき道
ガンジー選集
ガンジーからミラベンへの書簡集
基礎教育について
ガンジー書簡集 Ⅰ-Ⅱ
「この最後の者にも」
その真髄
M.K.ガンジー
グジュラート語からの翻訳
英語への訳者:バルジ ゴビンジ デサイ
ナバジバン出版
アーメダバード 14
初版 5000部
第二版 5000部 1956年
第三刷 10,000部 1958年
第四刷 10,000部 1962年
40 ナヤパイサ
著作権 ナバジバン財団 1956年
印刷出版 ジバンジ D デサイ
ナバジバン出版 アーメダバード 14
英語への訳者まえがき
ガンジーは,ヨハネスブルグからダーバンまでの24時間の汽車移動の中で,ラスキンの「この最後の者にも」を初めて読んだ。その印象を,自叙伝の中の「ある本の天啓」と題する章(第4部第18章)で,次のように述べている。
「夕方になって汽車はダーバンについた。その夜は一睡もできなかった。その本の思想に基づいて自分の生き方を変えようと,私は決意した。・・・そして,後にその本を『サルボダヤ』という題で,グジュラート語に翻訳した。」
本書は,そのグジュラート語版『サルボダヤ』の英訳である。ラスキンの原著の言い回しは,できる限り再現されている。
先に触れた章の終わりで,ガンジーは,「この最後の者にも」から読み取った思想を,次のように要約している。
- 個人の幸福は,全員の幸福の中にある。
- 法律家の仕事は,床屋の仕事と同価値であり,人は誰も,その仕事によって生計を維持する権利を持つ。
- 土を耕す農民や,物を作り出す職人のような肉体労働者の生活は,価値ある生き方である。
ラスキンの原著の四つの章の真髄を述べた部分については,付け加えることはない。しかし,ガンジー自身の言による最後の「結論」の部分は,それが1915年にガンジーがインドに帰国するよりはるか以前に書かれていたことを考えると,預言的であり,将来ともインドの指針というべきである。この冊子の最後の一節はまさにかけがえのない珠玉というにふさわしい。
V.G.D
インド暦2007年バードラ月5日
第二版のまえがき
私の友人であるシュリ・ヴェリール・エルウィンが,初版を読んでいくつかの語句の差し替えを助言してくれた。第二版ではそれらを差し替えた。
V.G.D
インド暦2012年バサンタパンチャミの日に
読者へ
私の著作の熱心な読者と,私の著作に関心を持っている人々に,伝えておきたいことがあります。それは,私はいつも首尾一貫していることを目指してはいないということです。真理を追い求める過程で,私は何度もそれまでの考えを捨て,多くの新しいことを学びました。年を取りましたが,内面の成長が止まってしまったとか,肉体の衰えとともに成長が止まるだろうと,感じたことがありません。私にとって一番大事なことは,その時,その時,真理(=神)の声にしたがうことです。ですから,もし私が同じことについて前と違うことを書いているのを見つけたら,そして,私の判断を信用していただけるなら,どうか後の方を選んでください。
M.K. ガンジー
ハリジャン 第一巻 №12,1993年4月29日,2頁
目 次
序章 ・・・・・・・・・・・・・・・ 1頁
第Ⅰ章 真理の根幹 ・・・・・・・・ 5頁
第Ⅱ章 富の本質 ・・・・・・・・ 28頁
第Ⅲ章 真実の経済学 ・・・・・・ 47頁
第Ⅳ章 富者と貧者の対立 ・・・・ 58頁
結論 ・・・・
序 章
欧米の人々は一般的に,人の責務はひとえに人類の大多数の幸福を増進することにある,そして幸福とは,もっぱら肉体的幸福と経済的繁栄を意味すると考えているようです。そのような幸福が達成されるのなら,道徳律が破られても大した問題ではない,人類の大多数の幸福が増進されるなら,たとえ少数者が犠牲になっても,何の差し支えもないというのです。
このような考え方がどんな結果をもたらしたか,それは欧米の現状を見れば明らかです。道徳律を無視して肉体的・経済的幸福をひたすら追求することは,神の法則に反しています。
欧米の幾人かの賢者も,このことを明らかにしています。その一人ジョン・ラスキンは,著書「この最後の者にも」で,人は道徳律にしたがってこそ真の幸福を得られる,と述べています。私たちインド人は,今や何ごとにおいても欧米の真似をしがちです。欧米の良いところを真似ることは必要ですが,欧米のやり方がしばしばまちがっていることも確かなことです。悪いものはすべて遠ざけなければなりません。ここ南アフリカのインド人は,大変困難な状況に置かれています。インド人はお金を得ようとインド洋を渡りました。簡単にお金を手に入れようとして道徳律を見失い,神は私たちがすることすべてを裁かれるということを忘れてしまいました。利己心は人のエネルギーのすべてを吸いつくし,善悪の区別をつける力さえ奪ってしまいます。そのために,インド人は,遠く海を渡ってきたのに何も得られず,かえって非常に多くのものを失ってしまいました。これでは,はるばる海を渡ってきた意味がありません。
世界中のどの宗教も,道徳律を守ることの大切さを教えています。特定の宗教を持ち出さなくても,道徳律にしたがって生きるべきだということは,良識のある人なら誰でも知っていることです。以下の頁でラスキンが説くように,道徳律を守ってこそ,私たちは幸福になれるのです。
ソクラテスは,「プラトンの弁明」 において,人の義務が何であるかを語っています。ソクラテスは自分が語った言葉どおりに生きました。私には,ラスキンの「この最後の者にも」は,ソクラテスの思想をさらに発展させたものに感じられます。ラスキンは同書で,ソクラテスの思想を現実の行動に移そうとするなら,人生の様々な局面で実際にどのように振舞うべきかを教えてくれています。しかし,その全部を翻訳することは,インディアン・オピニオン紙の読者にとってとくに役立つものではないでしょう。以下は,「この最後の者にも」の忠実な翻訳ではなく,その真髄を要約したものです。題名も文字どおりの翻訳ではなく,ラスキンが言おうとした趣旨を汲んで,サルボダヤ(全員の幸福)と変えています。
続く